冬晴れのある日。群馬へ向かう。高速を走りながら、燃える山に目を奪われた。赤、オレンジ、茶色に黄色。合い間に緑のグラデーション。わずかにシーズンを過ぎてはいるが、はっとするほど美しい。群馬の紅葉は、もう10日ばかり早い、11月中旬~下旬がベストシーズンではないかと思う。
本当は朝一で碓氷峠へ向かうはずだったが、予定が全然変わってしまった。2時間ばかり朝の時間が空いたので、群馬の森へと向かう。今回でもう3回目になるが、岩鼻火薬製造所の件で、実はまだ見ていないところがある。
旧火薬製造所の正門と塀
まずは群馬の森の南側、日本化薬株式会社の外周りを行く。火薬製造所の門や塀が当時のまま残されている。
白い門は当時の正門。表札もなく、人気もない。イチョウもだいぶ葉を落とし、寂しげだ。奥の建物は今でも使われているのだろう、車が見える。会社の敷地沿いに歩いていくと、左手に延々と塀が続く道に出る。塀は黒ずみ、道路側に傾斜している部分もあった。歩いてみると、その敷地の広大さがわかる。塀は烏川まで続き、急に途切れた。そこから先は金網越しに、日本化薬の工場が広がる。
殉職者の碑
折り返して、もうひとつの目的地、「殉職者の碑」へと向かう。日本化薬から国道17号をはさんで向かい側にあるというが、入口がわからない。看板の類がないということは社有地なのだろう。入っていいものか迷うが、「見たら早々に退散する」と勝手な言い訳をして先へ進む。
入口はこのキレイに刈り揃えられた木のところ。少し行くと左手に階段があり、天満宮がある。
この碑は昭和7年(1932年)に建てられたもので、裏側には、明治15年の創設以来、28名が殉職した旨が刻まれている。実際に爆発事故は多く、「明治期10回、大正期13回、昭和期8回の合計31回の大爆発事故が発生し~(中略)~合計47名の犠牲者」(※)が出たという。
火薬の製造は軍事だけでなく、産業の発展にも大きく役立ったが、その性質上、犠牲者の数もまた多かったことを忘れてはならないと思う。
【参考文献】
(※)『陸軍岩鼻火薬製造所の歴史』菊池 実 著(みやま文庫 2007 P.16)
(了)
コメント