【番外】ノーベルとダイナマイト

群馬の森「ダイナマイト碑」にちなんで、今日はちょっとダイナマイトの話をしようと思う。

誰が発明したのか検索すると、意外な人物が出てくる。アルフレッド・ノーベル(1833-1896)。そう、あの「ノーベル賞」のノーベルだ。彼が「ダイナマイト」を発明した。

「ノーベル」の資料は少ない。図書館には子供向けの絵本や伝記が3冊だけ。他に資料がないのか、さんざん調べてもらったが、最終的な結果は「発明図鑑」に2ページ、「モノの世界史」に2ページ半、「科学者はなぜ軍事研究に手を染めてはいけないか」に1ページ弱。すべてダイナマイトの話だった。

目次

ダイナマイトと産業革命

ダイナマイトの発破

なぜこんなに資料がないのだろう。ダイナマイトの破壊力は世界中で必要とされたはずだ。時は19世紀、産業革命の真っただ中で、船も鉄道も機械も、なんでも蒸気機関で動くようになった。燃料の石炭の採掘、輸送のための鉄道、トンネル、道路。どれほどの山が切り崩されたかわからない。その行為を容易にしたのは、他でもないダイナマイトだ。

ダイナマイトの語源は「dynamis(デュナミス)」=「力」。その力が、人々の産業や文化を発展させ、生活の基盤を作った。それほどの貢献にもかかわらず、資料は少ない。

それはやはり、ダイナマイトが「兵器・爆弾」として戦争に使われたからだろう。それも大量に、「きちがいのように」だ。

ダイナマイトが生まれた理由

アルフレッド・ノーベル

従来の黒色火薬は威力が弱かった。産業の発展に伴い、より強力な火薬が求められるようになる中、ソブレロというイタリアの学者がニトログリセリン(ニトロ)を発見する。しかしソブレロ本人が爆発でケガを負い、その威力に怖じ気づいてしまう。ニトログリセリンは、妙なタイミングで爆発したり、全然爆発しなかったりと動作が不安定だった。狙ったタイミングで爆発させることができず、誰も手を出さなかったのだ。

その制御方法を発見したのがノーベルだ。火力を余すことなく引き出すためには、ニトログリセリン全体に均等に熱をかける必要があった。そこで、先に少量の黒色火薬を爆発させ、その熱でニトロの爆発を誘導するという、画期的な「起爆」方法を編み出した。1863年のことだ。

ただ、当時のニトロは液状(油状)で、落下はもちろん、急に揺り動かしたりするだけで爆発するという、大変に不安定なものだった。輸送していた馬車、汽車、船は木っ端みじんとなった。実の弟エミールも爆発で亡くなっており、ノーベルが駆けつけた時には、工場が吹き飛んでいたという。

安全のために、なんとしても固形化するべきと考えたノーベルは、砂でも綿でもニトロを染み込ませ、実験を繰り返した。最終的にたどり着いたのが珪藻土で、この珪藻土にニトロを染み込ませたものが「ダイナマイト」である。ここでようやく火力と安全性の両立に成功する。1867年に特許を取り、世界中で飛ぶように売れた。

ダイナマイトの改良

珪藻土からニトログリセリンが染み出して危ないとの指摘を受け、1875年にはゼリグナイト(ゼリー状ダイナマイト)が開発される。名前は聞きなれないが、プラスチック爆弾のことだ。細くも平たくも、自在に形を変えて使用することができた。

1887年にはバリスタイトという無煙火薬ができる。煙が出ると、その間は前が見えず、連続した攻撃をすることができない。その間に被弾する危険性もある。煙が出ないというのは画期的で、小銃、機関銃、大砲の火薬など、その後の戦争で大いに使われることとなった。

すべてはノーベルの研究の成果だった。ダイナマイトは世界20か国、100近い工場で生産されたという。

ノーベル賞

ノーベル賞の舞台、ストックホルムの風景

ノーベルは「ダイナマイト王」と呼ばれる一方で、「死の商人」と呼ばれた。「人間を迅速かつ大量に殺す方法を生み出し、富を得た」とされたのだ。

そのイメージを嫌って、「輝かしい栄誉を与えるノーベル賞を創設した」との説が有力だ。

ノーベル賞は、「物理」「化学」「医学」「文学」「平和」の5分野において、「人類の未来や平和に役立つ研究をした」栄誉として贈られる。財源はもちろん、ノーベル自身の莫大な財産から出ている。授賞式はノーベルの命日の12月10日、祖国スウェーデンのストックホルム(※)で毎年行われている。

(※)平和賞のみノルウェーのオスローで行う。

(了)

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この記事を書いた人

ヤフオクで中古バイクパーツをメインに扱う。ゼファー400外装セットなど自作FRP製品を600個以上販売したが、力尽きて現在休止中。業界歴20年。3級2輪整備士。

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