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碓氷峠「アプトの道」を行く【4】熊ノ平 「逆行転覆事故」と「土砂崩落」の悲劇

「アプトの道」熊の平

10号トンネルを出ると、「アプトの道」ゴール地点の「熊ノ平」となる。一気に目の前が開け、そういえば細い道をずっと歩いていたことに気がつく。誰もいない。しんと静まり返っている。使われなくなったレール、架線、信号所はサビが目立つ。寂しく、哀しい。このまま朽ち果てていくのを見守るしかないのだろうか。

「アプトの道」熊の平
「アプトの道」熊の平、信号所
目次

水平区間「熊ノ平」の役割

熊ノ平(くまのたいら)は、横川駅と軽井沢駅のほぼ中間に位置する。急峻の碓氷峠において、唯一の水平区間だった熊ノ平は、上り下りの列車のすれ違い、蒸気機関車の給水・給炭場として役割を果たした。1906年(明治39年)には熊ノ平「駅」に昇格し、突っ込みトンネルや待避線の整備が行われた。その後、1966年(昭和41年)の新線複線化に伴い、信号場へと格下げになる。

現在の「熊ノ平」

横川側にはトンネルが4つ並ぶ。左から、新線上り、新線下り、旧線第10号トンネル(アプトの道)、待避線となる。大きさも形もバラバラだ。異なる時代に作られたトンネルたちが、ここ熊ノ平で一堂に会す。レールや架線、信号所などは、廃線当時のままの姿を残している。

アプトの道「熊ノ平」4つのトンネル

上り線だったホームには、「アプト式開通の碑」という大きな石碑が経っている。1893年(明治26年)の開通を記念して、軽井沢駅前に建てられたものだ。関東大震災で三つに割れてしまうが、その後つなぎ合わせで復元され、この熊ノ平に飾られている。オリジナルの碑だ。全文が漢文のため、読むことは叶わないが、トンネルの数やアプト式の採用のこと、開通までの経緯などが刻まれているという。

「アプトの道」熊の平、アプト式開通の碑

貨物列車逆行転覆事故

貨物列車逆行転覆事故(1918)。Wikiより転載
貨物列車逆行転覆事故(1918)。大破した10000形が横たわる。Wikiより転載。

熊ノ平は大事故が2回起きている。ひとつは1918年(大正7年)の貨物列車逆行転覆事故。上り勾配の第20号トンネル付近で、車両の異変に気づいた機関士が緊急停車。安全確認の後に再発車しようとするが列車は逆行。自重で落下を始めた列車は、加速しながら暴走。ブレーキは効かず、猛スピードのまま熊ノ平に突入。全車両が脱線、大破した。乗務員4人が死亡した悲惨極まる事故だった。状況を想像するだけで背筋がゾッとする。

大規模土砂崩落事故

もうひとつは1950年(昭和25年)の土砂崩落事故。集中豪雨による土砂崩れで駅舎・官舎5棟が倒壊、80人が生き埋めとなった。救出作業の甲斐なく50人が死亡、「熊ノ平殉難」と呼ばれ、今は殉難碑が建てられている。

アプトの道「熊ノ平」殉難碑
アプトの道「熊ノ平」殉難碑

参考資料

  • 碓氷峠アプトの道「熊ノ平」各種標識、案内板
  • 『鉄道廃線跡を歩く』宮脇俊三(JTB、2001)
  • 『碓氷峠の一世紀』三宅俊彦 (ネコパブリッシング、2022)
  • Wiki「熊ノ平駅」「信越本線熊ノ平駅列車脱線事故」

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