ブリュナ館の前庭に、鮮やかな青い碑が立っている。富岡製糸場が【世界遺産】として名を残した証だ。登録年度は2014年。片倉工業はもちろん、富岡市の自治体や教育機関が一丸となって勝ち取った栄誉だろう。
世界遺産の登録には「きわめて高い文化的価値」が必要とされる。「富岡製糸場と絹産業遺産群」の文化的価値とは、一言で言ってしまえば、蚕種の改良と大規模な機械化で、生糸の大量生産を可能にした点だ。
大規模な設備の富岡製糸場だけにスポットが当たりがちだが、「絹産業遺産群」の果たした研究開発の部分も大きい。良質な繭が安定供給されなければ、大量生産は不可能だからだ。高山社や田島弥平宅の研究教育施設は、大きい繭、病気に強い蚕種(さんしゅ)の開発を行い、保存施設の荒船風穴は、孵化時期を調整することで、年に複数回の繭の収穫を可能とした。
蚕の育成に必要な温度管理、湿度管理、蚕室の形状、桑葉の手入れなど飼育の研究を行いながら、一方で機械部分についても技術開発を進めていった。これがすなわち「富岡製糸場と絹産業遺産群」で、「安定した繭の供給」と「大規模な機械化」が、「高品質な生糸の大量生産」へとつながっていく。
最終的に開発した自動繰糸機は海外各国へ輸出され(※)、世界中の絹織物の発展につながった。その文化的価値、貢献度が認められ、富岡製糸場はほぼパーフェクトの内容で、世界遺産として登録されることになったのである。
(※)「自動繰糸機は昭和48年末までに、国内外で累計1886セットが販売され、このうち285セットが世界の主要蚕糸国である中国・フランス・イタリア・韓国等 14 カ国へ輸出された」(日本シルク学会誌27、2019年)
(了)
コメント